経世済民
社会、生活や歴史を中心に日々感じた事を発信して行きたいと思ってます。
二十絃箏
知人に案内をもらい、昨日、六本木ミッドタウンTokyo Midtown 0777 Eventに行く機会を得た。
そこで二十絃箏奏者の中垣雅葉氏の演奏を聞かせてもらった。(試聴は氏のホームページから)
素晴らしい演奏だった!
8月25日(土)には渋谷の白寿ホールにて「GAYO Koto Nouveau 2007」が開催される。  

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公を重んじ、私を慎む
人間のあり方については、人には三段階があり、人間は天の中の一小天で、自分の「前人」と「後人」の三人で構成しており、前人は天を助けて得た前時代の知識技術を自分に伝え、自分はこれを受け継いで後人に伝える。前生・今生・後生の三段階があるけれども、みな一天中の子であり、この三人で天帝の命を果たすのだと。
西洋の学問については、事業の学であって心徳の学ではない。西洋人は、みな事業の学問をするので、事業ではどんどん開けるけれども、心徳の学がないので人情に関することが分からないのである。
だから、貿易の談判も事実をつめていくだけだから戦争となり、戦争になってもやはり事実をつめていって償金講和というようになる。人情を知っていれば戦争を防ぐ方法があるのだが、そこまで分かっていたのはワシントンただ一人だった。事業の学ばかりで心徳の学がないから西洋列国に戦争の止む日とてない。

慶応2年4月28日(1866年)に自分の甥二人(22歳と17歳)をアメリカ留学に送り出す際の
送別の語:
「堯舜孔子の道を明らかにし
西洋器械の術を尽くさば
なんぞ富国に止まらん
なんぞ強兵に止まらん
大義を四海に布かんのみ」


東洋の精神文明をもとに西洋の科学文明を取り入れて、富国強兵に努め、さらに民主的、平和的な道義国家となって、これを世界に広めようと、言っている。

勝海舟曰く:
「おれは、今までに天下で恐ろしいものを二人見た。それは横井小楠と西郷南洲とだ。
横井は、西洋の事も別に沢山は知らず、おれが教へてやつたくらゐだが、その思想の高調子な事は、おれなどは、とても梯子を掛けても、及ばぬと思った事がしばしばあつたヨ」


坂本龍馬は慶応2年12月4日付けの兄権平と家族一同にあてた手紙の中で
「当時天下の人物と云えば(中略)肥後に横井平四朗(小楠)」
と書いているほか、翌慶応3年10月16日に龍馬が戸田雅楽(うた)らと共に京都近江屋で作成したと言われている「新官制擬定書」(しんかんせいぎていしょ)にも参議の一人として小楠を書いている。

ロシアの文豪トルストイは熊本のジャーナリスト、歴史家で評論家の徳富蘇峰(とくとみ そほう)から小楠の思想を聞いて驚嘆し、
「東洋にも、そんな偉人がいたのか!君、小楠の遺稿を編纂しなさい!」 と語っている。
蘇峰の弟、蘆花は小楠を評して、
「幕末のあの世の乱れていた時代に、世界の平和を考えていたということは、小楠がどのくらいの人物だったかがわかる」 と述べていた。
しかし対立する勢力もあり地元の熊本では評価は低かった。(お酒癖も悪かったようで)

参考文献:
三上一夫著、横井小楠―その思想と行動、吉川弘文館
徳永洋著、横井小楠―維新の青写真を描いた男、新潮新書

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反省
いやいや、これまでの記載内容を振り返ると「硬い!」の一言ですね...
舌足らずで一方的、説明も不充分(反省 /・_;)

まずは安場について少し補足を:
安場 保和(やすば やすかず、天保6年4月17日(1835年5月14日) - 明治32年(1899年)5月23日は、近代日本草創期の官僚・政治家。
肥後細川藩出身で、後藤新平など、人材発掘に生涯を捧げた。地方官僚として北海道、福島、福岡、名古屋等で必要とされる事業や改革を実行していった。
福井藩の松平春嶽(慶永)の政治顧問で儒学者、横井小楠の弟子。
このリンク先に更に詳しい内容の掲載があります。
また、歴史作家の桐野先生もブログ内で紹介して下さっている。

安場保和伝
安場保和伝1835‐99―豪傑・無私の政治家

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